1979年(昭和54年)は横浜開港120周年。「みなと祭」が開かれた5月3日、神奈川文化会館の周辺は20万を超える人出でにぎわっていた。“会長辞任式”となった、創価大学での本部総会を終えて、池田大作(いけだだいさく)名誉会長は真っすぐに神奈川文化会館へ向かった。師弟を裂こうとする宗門と反逆者の陰謀が、嵐のように渦巻いていた。
1957年(昭和32年)9月8日。横浜・三ツ沢の陸上競技場は、台風一過の透き通るような秋空に包まれていた。
地域友好の一つのモデルを残そう!その思いで、池田大作(いけだだいさく)名誉会長が率先して取り組んだ地域が、鎌倉を擁する神奈川であった。鎌倉は、「武士の都」として栄え、さまざまな宗派が拠点を構え、今も多くの神社仏閣が集中する地域。何より、日蓮大聖人が国家権力を相手に、「立正安国」の戦いを起こされた主戦場であった。
「風邪をひかないように」「平和の心を歌いあげよう」池田大作(いけだだいさく)名誉会長は、会場の横浜スタジアムに入るや、グラウンドを回りながら、出演者や参加者、役員を次々と励ましていく。1984年(昭和59年)9月9日。この日、第1回「神奈川青年平和音楽祭」が行われた。
宗門からの圧力で、自由に会合に参加できない名誉会長。その名誉会長に代わって、香峯子(かねこ)夫人は、横浜市神奈川区内の婦人部総会に出席した。5月27日のことである。喜々として総会に集った約50人は、それぞれ悩みと向き合いながらも、懸命に信心を貫いていた。その報告に耳を傾け、香峯子夫人は真心からの励ましを送った。