広布史history

ホーム広布史恩師の遺訓「原水爆禁止宣言」

恩師の遺訓「原水爆禁止宣言」

原水爆禁止宣言を発表する戸田第2代会長(1957年9月8日、三ツ沢の陸上競技場で)

1957年(昭和32年)9月8日。横浜・三ツ沢の陸上競技場は、台風一過の透き通るような秋空に包まれていた。

青年を中心にした約5万人が集った「若人の祭典」(第4回東日本体育大会)。掉尾を飾ったのは、戸田城聖(とだじょうせい)第2代会長の師子吼であった。

「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります。それを、この人間社会、たとえ一国が原子爆弾を使って勝ったとしても、勝者でも、それを使用したものは、ことごとく死刑にされねばならんということを、私は主張するものであります」
――「原水爆禁止宣言」である。

戸田会長は、生命尊厳の仏法者として、死刑制度には絶対に反対。それでも、あえて「死刑に」と叫んだ。それは、原水爆を保有し、使用したいという人間の己心の魔性それ自体に、朽ちざるくさびを打ち込むためであった。

当時の国際社会は、米ソが核兵器開発競争にしのぎを削り、水爆や大陸間弾道弾の実験などが各地で行われ、人類の生存を脅かす緊張状態が深刻化していた。

こうした状況にあって、戸田会長は、原水爆を使用した者を、「魔もの」「怪物」と断言。核兵器の本質を、人間の魔性の生命が形となったものと喝破した。

そして、青年たちに、生命尊厳の思想を、時代精神へと高めゆく必要性を訴えたのである。

戸田会長が「遺訓の第一」としたこの大宣言の精神を、全世界に広げゆくため、池田大作(いけだだいさく)名誉会長は、各国の指導者との語らい、平和提言などを重ねてきた。学会第1号の平和展示資料館として、宣言発表の地・神奈川に完成した「戸田平和記念館」も、その行動の一つの結晶である。

これまで、同館で開かれた展示会は50回以上。学校の校外学習に活用されるなど、多くの市民に親しまれ、100万人以上が来訪している。

名誉会長は「原水爆禁止宣言」を神奈川で発表した意義に触れ、神奈川に期待を寄せている。

「多彩なる神奈川の/頼もしき青年の人材群よ!/核よりも/巨大にして偉大なる/若き生命のエネルギーを/思う存分に発揮しながら/二十一世紀の揺るぎなき/平和の民衆勢力を/威風堂々と大結集し/大同団結してくれ給え!」
(長編詩「偉大なる太陽の希望城・神奈川」から)

その心に呼応し、県内各地では、核兵器廃絶の展示や講演会、署名活動などが行われてきた。