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「正義」と「共戦」の誓い(昭和54年)

神奈川文化会館から山下公園を望む。名誉会長が第3代会長を辞任した当時、ここに多くの学会員が駆け付けた

1979年(昭和54年)は横浜開港120周年。「みなと祭」が開かれた5月3日、神奈川文化会館の周辺は20万を超える人出でにぎわっていた。

“会長辞任式”となった、創価大学での本部総会を終えて、池田大作(いけだだいさく)名誉会長は真っすぐに神奈川文化会館へ向かった。

師弟を裂こうとする宗門と反逆者の陰謀が、嵐のように渦巻いていた。

5月3日付の読売新聞朝刊では、“過去、現在を問わず最も尊敬する日本人”を聞いた意識調査の中で、第6位として名誉会長の名が挙げられていた。

ゴールデンウイークの間、会館の周辺には、会館の建物を見上げ、手を振る、無数の神奈川の同志の姿があった。

“よし、こういう同志がいるのであれば、私はこの方々のために戦おう!
学会員のために、もう一度、立とう!”

名誉会長は、湧き上がる決意を、そう述懐している。

そして3日夜、神奈川文化会館で筆を執った。

「誓」「共戦」と。
「共戦」の揮毫には
「生涯にわたり われ広布を 不動の心にて 決意あり 真実の同志あるを 信じつつ 合掌」との脇書を添えて。

また、5日には「正義」
――脇書には
「われ一人正義の旗持つ也」と。

「会合で指導してはいけない」「聖教新聞に出てはいけない」との宗門からの要求の中、名誉会長は、ただ一人、決然と正義の闘争に立ち上がった。

「しゃべるなと言われても、書くことができる。書くなと言われれば、音楽を弾いてでも激励できる」と。

手紙、記念撮影、ピアノ演奏などを通し、全国各地から集う同志を、抱きかかえるように励ました。

階段で。ロビーで。同志の姿があれば、走るように会館内を動きに動いた。名誉会長のいる場所が“本陣”だった。

新聞にも報道されない一対一の対話。この励ましの闘争が、世界広布へ飛翔する“新しい創価学会”を開いていく。